愛猫と私が敵対して戦うわけではない。
こないだの4月で17歳になった愛猫。
15歳の終わり頃に慢性腎不全と診断され、
完治はしないこと、積極的な治療(腎移植や透析)は不可能なこと、を
医師から言われていたけれど、
先日、余命宣告を受けました。
今までにも何度か病気はしたことがあり、薬を処方されたことがあったけど
薬を全く飲まない猫で、どんなに細かくすり潰して餌に混ぜても
口に無理矢理入れても吐き出してしまい
「薬は毒にゃ!そんなものには頼らないにゃ!」と己の治癒力を信じて
腎不全と診断された後も、薬は断固拒否で全く飲まなかった。
餌を全く食べなくなって体重がこれ以上減ることも問題だし
歳も歳なので、嫌がることを無理にするのも、と
餌だけは療養食に切り替え、嘔吐や脱水の調子の悪い時だけ
対処療法として通院していた。
皮下注射にて輸液を行ったので、足に水分が溜まり左前足だけ1.5倍に膨れてる。それもまたかわいい。
毎日願いを込めながら折っている千羽鶴。
折り終わったものを色別に分けてる箱の中になにやら怪しげな形をしたものを発見。
私が寝てる時に、娘に手伝ってもらいながら夫が折った鶴でした。捨てなくてよかった。
診断された後は、かなり動揺し
移植の手段(病院によっては可能)または渡米での手術などを調べたりした。
移動時間や気圧に体力が持たない可能性と、元ノラなので検疫が難しいこともあり
最悪、私が今から必死で獣医学を学び、野良猫捕獲して練習させてもらい
愛猫に出会った久留米に向かい、親兄弟、は亡くなってるだろうから
その4,5世代後くらいの血縁の似た猫を捕獲して腎臓を頂こうかと本気で考えた。
愛猫さえ助かればいいのか?
そこで犠牲になる猫の命はどうでもいいのか?
そんなことまでして愛猫は長生きしたいと思うのか?
などといった家族の非難も素直に聞くことが出来ず、
もう半ば意地となり、愛猫さえ助かるなら何でもする!
費用がかかるなら家も土地も売る!(親健在で居住中。しかも相続しても私のものではない)
と思考がだんだん歪んで狂う一歩手前。というか狂ってる。
夫も娘も(親も)全て放置して、助言や励ましすら鬱陶しく
もう何が何でも私が絶対に愛猫を助けるという勝手な使命感に燃え
生活が愛猫中心となり、そんな状態でありあらゆる手段を使ってでも治してあげたいと
必死の形相であれこれ調べたり問い合わせしたりしていて数日が過ぎ、
余命宣告を受けた翌々日。
ダメもとで薬入りの餌を与えたところ
今までは視界に入ってないかのごとく無視してた薬入りゴハンを食べた!
産まれて初めて!
宣告を受け、「さすがにこのままでは、やばいにゃ!」と思ったのか
毎日めそめそと泣き暮らす狂人と化した私を不憫に思ったのか
素人に腎移植なんてされたら余命を待たずして倒れてしまうと身の危険を感じたのか
病院に連れてかれるより薬飲んだがまし、と小さな頭の小さな脳みそで損得を計算したのか
理由は本人に尋ねてみないと不明だけど、その日から毎日薬をきちんと飲む。
頑張っている愛猫のために私も頑張らないといけない。
おかしなことを考えたり、泣いたりしてる場合ではない。
これから始まる、本格的な闘病生活へ向けて愛猫と共に頑張るために
私も気力と精神力をつけておかなければならない。
無茶苦茶なダイエットして体調壊してる場合ではないので
残り2キロぐらいまだ目標まで達してないけどダイエットも辞めた。
どんな形であれ長生きだけして欲しいとは望まない。
それは私のエゴだから。
愛猫はペットであり大切な家族だけど、動物としての尊厳を大切にしたい。
ただ、最期まで少しでも苦痛が少なく、健やかに過ごしてほしい。
それがただひとつの願い。
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- 2012/07/06(金) 11:00:05|
- 愛猫。|
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